第17話 満月のような
『師匠、私は生まれてはいけない存在なのだろうか』

 私の言葉を聞いた師匠は、目や口を大きく開けた。それから、眉を下げ、目を潤ませた。まるで酷く傷ついたように。

『……どうしてそんなことを?』

『兄弟子達が、私のことを「本来生まれていないもの」「人形」と言う』

『そうか……』

 師匠は目を伏せる。それから、言葉を選ぶように何度も口を開いたり閉じたりした。

『……翡翠。確かにお前は私が作った人間だ。しかし、兄弟子達が何を言おうと、お前にはお前の意思がある。決して“人形”ではないぞ』

 師匠にそう言われたものの、私は自分の存在意義が分からない。更に、日に日に兄弟子達の当たりが強くなっていく。嫌がらせも強くなっていく。仕方ない。他の者とは違うのだ。私は作られた存在、“人形”なのだから。
 術の勉強や練習に身が入らない。ただ、何となく、ぼんやりとした毎日が続いていった。
 そんな時だった。“それ”に出会ったのは。

「……師匠。この満月のように輝くものは、一体なんだろうか」

 私がこの世に生まれてから“それ”は初めて見るものだった。

「ああ。それは“ケーキ”という食べ物だ」

 “それ”は黒に近い茶色で、まるで満月のようにきらきらと輝いている。まるで装飾品のような“それ”が食べ物だと言うのだから、驚いた。

「……けぇき」

「ケーキ」

 師匠が私の言葉を聞いて、くすりと笑う。私の言葉がおかしかっただろうか。けぇき。けーき。ケーキ。
 しばらく「ケーキ」と言葉に出して繰り返していると、師匠がおもむろに口を開いた。

「翡翠も食べてみるか?」

 私は余程物欲しそうに“それ”を見ていたのだろうか。しかし、満月のように輝き、綺麗に装飾された“それ”が、どんな味がするのか、興味があった。

「……いいのか?」

 私は恐る恐る、遠慮がちに師匠に問いかける。

「もちろん。それに、「里の皆さんで食べて下さい」と言われている」

 師匠がにこり、と笑って返事をした。それから師匠は立ち上がり、ふすまを開け、ふすまの向こう側へ消えた。次に姿を現したときには、右手に包丁を持っていた。
 元にいた場所に座り直した師匠は、“それ”に包丁を入れ、二等分にした。そして、二等分にした片方の“それ”を、更に三等分にする。その三等分にしたひと欠片と、先が三つ分かれた金属でできた細長いものを皿に乗せ、私に差し出した。

「さあ、どうぞ」

 私は師匠が差し出した皿を受け取った。しかし、どうやって食べるのか分からない。この金属でできた細長いものを使うことは、分かるのだが。
 しばらく無言で皿に乗った“それ”を見つめていると、師匠が「こうやって食べるんだ」と、金属でできた細長いものの先が分かれていない方を手の指で持ち、先が分かれている方で“それ”をひと欠片すくった。見よう見まねで、師匠と同じように“それ”をひと欠片すくってみる。そして、ゆっくりと口に運んだ。

「……!」

 “それ”を口に入れた瞬間、電流が身体中を走った。とろけるような甘さ。それでいて、すっきりとした爽やかさが口の中で踊る。甘いけれど甘くない。絶妙なバランスで、私はその味の虜になった。

「……これは驚いた」

 師匠が目を丸くして、私を見つめている。私は何かしただろうか。思い当たることがなく、不思議に思って師匠を見つめ返す。

「お前、笑っているぞ」

「……笑う? 私が?」

 師匠の言葉に、驚いた。私は自分で笑っているつもりなんて、なかったからだ。

「翡翠が笑うところ、初めて見たな」

 師匠の言う通りだ。私が生まれてから、笑ったことなんてない。

「リースさんのケーキは“魔法のケーキ”だな」

「魔法?」

「そうだ。お前のような仏頂面でも、笑顔にしてしまう“魔法のケーキ”」

「魔法とはなんだ?」

「そうだな……例えるのなら、術のようなものだな」

 確かに、生まれてから一度も笑ったことがない、表情が無いと言われている私が笑ったのなら、“それ”は“魔法”と言えるのかもしれない。
 リース。“それ”を作ったリースという者は、どんな者なのだろうか。私のような者でも、会ってもらえるのだろうか。

「師匠、このケーキを作った者とは……いや、」

 言いかけて、止めた。こんな素晴らしいものを作る者が、私のような“人形”と会ってもらえるはずが無い。

「会えるぞ」

 私の考えていることを見透かしたように、師匠が言葉にする。

「このケーキを作ったリースさんとは、数年後、救世主(メシア)の護衛として、この黎明(れいめい)の里にやって来る」

「数年後……」

 私はぽつりと呟いた。それから、師匠が意を決したように、真っ直ぐ私を見つめた。

「……私は、救世主(メシア)の護衛にお前を推薦するつもりだ」

「それが私の使命か?」

「そうだ。お前の術で、救世主(メシア)御一行をお守りする。そのためにお前を生み出した」

 救世主(メシア)御一行を守る。それが私の使命。私が生まれた意味。

「しかし、黎明(れいめい)の里から救世主(メシア)の護衛に付けるのはただ一人。勿論、黎明(れいめい)の里で一番腕のいい術師でなければいけない」

 「意味は分かるな?」と師匠が問う。

「師匠……私は誰にも負けない、一番腕のいい、立派な術師になってみせる」

 そして、この素晴らしいものを作る者を、私の手で、守ってみせる。

「……そうか」

 師匠は顔を緩ませた。嬉しそうだ。
 それから私は毎日、術の勉強と練習に励んだ。救世主(メシア)の護衛に相応しい術師になれるようにと。あのケーキを作った者を守れるようにと。あんなにぼんやりと過ごしていた日々がきらきらと輝いていた。嘘のようだ。

「翡翠、リースさんからケーキが届いたぞ」

「……頂こう」

 私は今日も術の勉強と練習に励む。いつか来る、未来のために。