第22話 魔法のケーキ
『ねぇ、リース。ケーキにはね、魔法がかかっているのよ』

 「ケーキには魔法がかかっている」それがお母さんの口癖だった。

『魔法?』

『そう。食べた人を笑顔にしちゃう魔法。それがケーキにはあるのよ』

『確かにケーキを食べるとにこにこしちゃう!』 

 『そうなの! そうなのよ!』

 お母さんの顔がぱっ、と明るくなる。お母さんはぱん、と両手を合わせた。

『さあ、リース。ケーキを食べましょう!』

✱✱✱✱✱✱✱✱✱✱✱✱✱✱

「見ました? あの茶色くて暗い髪。和人(イニシオ)そのものだわ」

「本当に。気味が悪いな」

「あの子。本当にうちで預からなければならないの?」

「仕方がないだろう。唯一血の繋がりがあるのがうちなんだ」

「姉さんも困ったものね。こんな子どもだけ残して、逝ってしまうなんて」

 私の両親が私が12歳の時に火事で亡くなった後、私は母方の叔母夫婦に引き取られた。けれど、叔母夫婦は洋人(フィニス)の純血しか認めない、言わば洋人(フィニス)過激派だった。和人(イニシオ)と洋人(フィニス)の間に生まれた私に居場所は無かった。
 洋人(フィニス)にはないこの茶色い髪。叔母夫婦には気味悪がれ、疎まれる日々。黎明(れいめい)の里で育った私には、頼れる人もいない、友人もいない。どうすればこの状況を変えられるのだろうか。私には分からなかった。
 私の中で生きている、優しかったお父さんとお母さん。それを何回も何回も頭の中で再生する。幸せだった。それがたとえ記憶でしかないものだったとしても。


 ある日、叔母様がお友達とお茶をしに出かけると叔父様と話している会話を聞いた。『 ケーキには人を笑顔にする魔法がかかっているのよ』ケーキを作りながら、お母さんの口癖を思い出す。もしかしたら。叔母様にケーキを渡したなら。叔母様が私のケーキを食べてくれたなら。叔母様も笑顔に、笑ってくれるかもしれない。そうしたら、そうだったなら。何か変わるかもしれない。
 私は音を立てないように部屋の扉を開け、忍び足で階段を降りた。大丈夫。1階には誰も居ない。台所に付いた私は冷蔵庫の扉を開けた。小麦粉、卵、生クリーム、砂糖、苺。冷蔵庫には材料があった。良かった。これでケーキを作れる。
 私は棚からボウルを取り出し、ケーキの材料をボウルに入れ、泡立て器で材料を混ぜた。その後、見つけた型に材料を流し入れ、オーブンで焼いてスポンジを作る。ケーキの型があるということは、誰かケーキを作る人が居るのかもしれない。もしかしたら、叔母様もケーキ作りが趣味なのかも。お母さんと同じように。
 数分後、オーブンからスポンジを取り出し、焼き加減をチェックする。よし、よく焼けている。スポンジを横に2等分に切り、切ったスポンジに生クリームを塗り、苺を乗せていく。後はスポンジの外側クリームを塗って、飾り付けるだけだ。

(叔母様が笑顔になりますように)

 そう願いながら、丁寧にクリームを塗っていく。よし、できた。後は、苺を上に乗せて……完成だ。私はできたケーキを箱に入れ、冷蔵庫にそっと入れた。
 その時、ガチャリと鍵を回す音が聴こえた。叔母様が帰ってきた!
 私は台所から階段のところまで移動し、ダイニングの様子をこっそり伺った。叔母様はダイニングに置いてある棚から何かを取り出し、また玄関へ向かった。お友達へのプレゼントだろうか。私は慌てて冷蔵庫からケーキが入った箱を取り出し、叔母様の後を追った。

「叔母様! 待ってください!」

 早く叔母様の後を追いかけなくちゃ!
 私は玄関の鍵を開け、無我夢中で叔母様の後を追った。

「……何か用かしら」

「あの、これ。よかったら食べてくれませんか? 今日、お友達とお会いになるのでしょう? だったら……」

「……何故貴方が作ったものを食べなければならないの? 穢らわしい」

 私の想いは砕かれた。箱を持っていた手を払いのけられた、その瞬間に。
 ケーキの入った箱が、ごとりと音を立てて床に落ちる。私には、何が起きたのか分からなかった。

「……どうしたの?」

 後ろから声をかけられた。顔を覗き込まれる。確か、救世主(メシア)として崇めれている人だ。

「あら、美味しそう」

 中身のケーキも、箱から出てしまっている。綺麗に飾り付けられたデコレーションも、ぐしゃりと崩れ、ケーキの一部が地面の砂に埋もれてしまっているのだ。

 救世主(メシア)と呼ばれている女性は、そのひと欠片を、丁寧な手つきですくい上げ。あろう事か。ぱくりと口を開け、口の中へ運んだのだ。

「何してるんですか! 汚い!」

 私は思わず声を荒らげた。救世主(メシア)と呼ばれている女性の右手首をぱしりと掴み、ケーキを食べることを止めさせようとする。

「……美味しいわ、とても」

 にっこり。救世主(メシア)と呼ばれている女性が笑顔になる。幸せそうで、暖かい。とろけるような笑顔だ。
 『ケーキには人を笑顔にする魔法がかかっているのよ』お母さんの言葉が頭の中で反響する。やっぱりケーキには魔法がかかっているんだ。お母さんの言う通りだ。

「貴方、名前は?」

「……リースです。リース=ドルセット」

「そう。私はナギサ。ねぇ、リース。良かったら……またケーキを作ってくられないかしら。私のために」

「もちろん、お礼はするわ」

 ナギサと名乗った女性は、救世主(メシア)と呼ばれることに相応しいような、聖母のような微笑みを私に向けた。

「私と友達になりましょう。リース」

 私に生まれて初めての友達が出来た瞬間だった。