第26話 色褪せた世界
『見ろ! 救世主(メシア)様がお通りになったぞ!』

『まだ幼くいらっしゃるけれど、なんて神々しいの!』

『あの救世主(メシア)様が、破壊者(ネメシス)から我々を救って下さるんだ!』

 私は生まれながら破壊者(ネメシス)から世界を救うという、伝説の救世主(メシア)というものらしい。生まれたその瞬間から救世主(メシア)として崇められ、私は自分が神に似た、特別な存在であるということを、幼いながら理解した。そして同時に、私は救世主として相応しい、そうあるべき言動、振る舞い、それらを自然に身につけていった。それと同時に、私は私自身としての想いや言動を表現することは無くなり、心の殻に閉じ込めるようになった。
 色褪せた世界。私には、世界の景色が全て、モノクロのフィルター越しに見ているように見えた。

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「救世主(メシア)様!」

「救世主(メシア)様〜!」

「……ありがとう」

  救世主(メシア)としての教会での集会の帰り道、街の住人に声をかけられた。声をかけてきた男性と女性、それぞれにお礼の言葉を言って、にこりと笑いかけた。“救世主(メシア)”として。

「おかえりなさい、ナギサちゃん」

「エリーさん、ただいま」

 家に帰るとエリーさんが声をかけてくれた。お母さんの妹のエリーさんが、私の面倒を見てくれている。エリーさん曰く、私のお母さんは、私を生んで直ぐに亡くなったらしい。お父さんは何処にいるのか……消息不明。生きていることは確からしいけれど。
 両親に会ってみたいか、と問われたら、「会ってみたい」と私は言葉にするだろう。けれど、どちらでも構わない。私には親代わりのエリーさんが傍に居てくれるから、私には十分だ。

 「今日も救世主(メシア)のお勤めご苦労さま」

「いいえ、」

 エリーさんが私を労ってくれる。けれど、私は、

「救世主(メシア)として、当然のことですから」

 私はにこりと、口元に笑みを作ってエリーさんに笑いかけた。けれど、エリーさんは眉を下げ、どこか寂しそうな瞳に私を映した。

「ナギサちゃん、あのね。私に何か出来ることは無い?」

「? エリーさんにはいつも良くしてもらっていますよ。家事や食事、私を朝起こす事だって……」

 そう。エリーさんにはいつも親代わりとして良くしてもらっている。朝が苦手な私が、救世主(メシア)の集会の時間に遅れずに行けているのも、エリーさんのお陰だ。毎日、家事もやってもらっているし、食事も作ってもらっている。

「そういうことじゃなくて……」 

 エリーさんは口をもごもごと動かして、言葉にならない言葉を形にしようとする。

「……いえ、なんでもないわ」

 エリーさんの口から言葉が紡がれることはなく、しゅん、と、何故かエリーさんは寂しそうに縮こまってしまった。その理由が分からなかったけれど、私は言葉の続きを問うことはせずに、にこりと笑いかけた。

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「ナギサちゃんは、もっとわがままを言ってもいいと思うの!」

 リースが怒っているような、悲しんでいるような、複雑な表情をして声を張り上げた。言われた意味が分からず、私は首を傾けた。だって、わがままなら、リースに十分言っているはずだから。

「わがままなら、十分言っているわ?」

「例えば?」

「美味しいものが食べたいだとか、ケーキが食べたいだとか」

 そう、リースにはいつもお菓子を作って貰っている。チョコレートを使ったお菓子が食べたいだとか、フルーツを使ったお菓子が食べたいだとか。そう。わがままなら十分言っているはずだ。

「そういうことじゃなくて……」

 リースは口をもごもごと動かして、言葉にならない言葉を形にしようとする。エリーさんと同じ反応だ。

「……やっぱ、なんでもない」

 リースの口から言葉が紡がれることはなく、しゅん、と、何故かリースは寂しそうに縮こまってしまった。またエリーさんと同じ反応だ。その理由が分からなかったけれど、その理由を問いかけたかったけれど、私は言葉の続きを問うことはせずに、にこりと笑いかけた。それが救世主(メシア)として相応しい言動だと思ったから。

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「……、あんた、名前は?」

「え?」

「まさか、救世主(メシア)とかいうのが、あんたの名前じゃないだろ?」

 驚いた。 名前を聞かれたことなんて無かったから。救世主(メシア)と呼ばれることが当然だと思っていたから。そんなこと、初めてだった。
 救世主(メシア)じゃない。ナギサとして、私として、彼と会話していい、と言われているような気がした。そうしてみたいと思った。

「私はナギサ。ナギサよ」

 色褪せた私の世界に、色が付いた瞬間だった。