第20話 私のボディーガード
燃える炎のような、その瞳が印象的だった。
「救世主(メシア)様! いけません! そのような者に近づいては……!」
人だかりをかき分けて、彼の元に近づこうとしたところで、一人の街の住人の男に声をかけられた。
「何処から来たのか分からない、得体の知れない者なのですよ……!」
ボサボサの黒い長い髪に、ボロボロの着物。何も聞かなくても分かる。彼が和人(イニシオ)だってこと。どこからが逃げてきたってこと。けれど、そんなこと、救世主(メシア)である私には、関係がなかった。
「どうして? 彼、困っているみたいだわ」
「それは……」
「困っている人を助けるのは当然のことでしょう?」
救世主(メシア)として。そう。救世主(メシア)として、“そう”行動するのは当然のことだ。
「ね、そうでしょう?」 と男に畳み掛けると、男はぐ、と言葉を飲み込んだ。男が言葉を飲み込んだことを確認した私は、しゃがみこみ、彼と目線を合わせた。
「貴方、どうしたの? どうしてここにいるの?」
「……セイド」
「え?」
ぼそり、と彼の口から言葉が発せられるが、上手く聞き取れない。
「クルセイド、って町か? ここは?」
必死でもがく、燃えるような瞳から一転。彼の瞳は、何かに怯えるような、びくびくしたものに変わった。
「そうよ。ここはクルセイド」
彼の怯えた瞳を安心させるように、できるだけ優しい口調で言葉を紡いだ。
「貴方、行くあては?」
「……」
沈黙。その沈黙が、私の質問への答えだ。
「ね、貴方。私の家に来ない?」
そうして彼と私の同居生活が始まった。
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トントントン。二階から階段を下っていく。階段を下りきったところで、「ナギサちゃん」と、私の親代わりのエリーさんに声をかけられた。
「彼、食事は……」
エリーさんは言葉を言いかけて、止めた。私が両手で持っていた、彼のための食事が、全く減っていないことに気づいたからだ。
「また食べてくれなかったのね……」
「今日こそは食べてくれると思ったのに」と、エリーさんは眉を下げる。私もエリーさんと同じ気持ちだ。彼が私の家に住むようになってから、どれぐらい経っただろう。一週間は経っている筈だ。その間、彼は一度も食事を食べてくれない。彼の身体が心配だ。このままじゃ、餓死してしまうかもしれない。私は決意した。
「……エリーさん。もう一度、彼の部屋に行ってきます」
私がエリーさんにそう言うと、エリーさんは、察したように「……お願いね」と言った。
私はさっき下がってきた階段を、もう一度上り始める。トントントン。リズム良く階段を上がる私の足音が響いた。そして、彼が居る部屋の前に立つ。今度は絶対、食事をして貰おう。そう決意を胸に秘め、コンコンと扉をノックしてから、ドアノブを下げた。
扉を開けた先には、彼がフローリングの上に膝を立てて座っていた。彼の目はぼうっとしていて、虚ろだ。そんな彼に、私は「ねぇ、」と声をかけた。
「お腹空かない? 何か食べないと、身体に悪いわ」
「……あんたは?」
私? 彼が食事を食べてくれることと、私。なんの関係があるのだろうか。
「私?」
「あんたは、俺が食事をした方がいいと思うか?」
「そうね……。出来れば食事をして……一緒にお喋りでもしてくれたら、嬉しいわ」
「お喋り」と、彼がくすりと笑った。その笑顔に、私は釘付けになった。彼が笑ったことなんて、一度も見たことがなかったから。
「……、あんた、名前は?」
「え?」
「まさか、救世主(メシア)とかいうのが、あんたの名前じゃないだろ?」
驚いた。同時に、嬉しくなった。今まで名前なんて尋ねられたことなんてなかったから。“救世主(メシア)”と呼ばれることが、当然だと思っていたから。
「私はナギサ。ナギサよ」
「……ナギサ」
彼は確かめるように、私の名前を呟いた。そこで私は、はた、と気づいた。そういえば、彼の名前を一度も聞いていないことに。
「貴方は?」
「……ない」
「え?」
「名前なんて……ない」
そう言って、彼はふい、と顔を背けてしまった。名前がない。それが本当か分からないけれど、彼は言うつもりはないらしい。さて、どうしたものか。名前がないのなら……私が勝手に付けてしまえばいいじゃない。我ながら、名案だわ。
「じゃあ、好きに呼ぶわね。そうね……」
彼に似合った名前。どんな名前がいいかしら。私はぱっ、と頭に浮かんだ単語を言葉にする。
「ヴェン。そう、ヴェンなんて、どうかしら?」
背けていた彼の顔が、くるりとこちらを向いた。嫌だと言われるのだろうか?
どきどきと心臓の音を鳴らしながら、私は彼の返答を待った。
「……好きにしろ」
ぶっきらぼうな言い方だけれど、嫌だとは言われなかった。良かった。
「ふふ。好きにするわ、ヴェン」
彼が私と会話してくれたこと、名前を付けさせてくれたこと。それが嬉しくて、笑みが浮かぶ。
「変わった奴だな、あんた。いや……ナギサ」
「よく言われるわ」
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それからいくつの時が経っただろう。あれから、ヴェンは食事をとってくれるようになり、私とエリーさんと一緒に食事をとることが当たり前になった。さらに、料理や食事の片付けや掃除なども手伝ってくれるようになり、すっかり私とエリーさんと打ち解けた。まるで、家族の一員みたいに。
そんなある日、私とヴェンは料理の買い物に出かけた。
「ヴェン、ちょっと待ってて。りんごを買ってくるから、荷物をお願いね」
「分かった」
肉と魚と野菜。今まで買ってきた荷物を預けて、私は果物屋に向かう。
「いらっしゃい、救世主(メシア)様!」
私が果物屋に着くと、店主である割腹のいい男が声をかけてきた。
「こんにちは。りんごを三つ頂けるかしら?」
「はいよ!」
店主の男は店に並んだりんごを三つ取り、袋に入れた。その袋を私に渡す。
「ありがとう」
私はくるりと踵を返し、ヴェンの元へ向かった。私の背に店主の「まいどあり!」という言葉がかけられる。
「……しかし、救世主(メシア)様もあんな得体のしれない者を保護するとは!」
私は足をピタリと止めて、思わず近くにあった木の幹に隠れる。ヴェンの近くに居た男二人が、大きな声で私の噂話をしていたからだ。救世主(メシア)である私は、救世主(メシア)だからこそ、色んな噂話をされることも多い。こんなこと、慣れている。
「救世主(メシア)様は相当な変わり者でいらっしゃる」
「違いない!」
「ははははは!」と二人の男が大きな笑い声を上げる。嫌な笑い声だ。この男二人の会話が終わってから、ヴェンの元へ向かった方が良さそうだ。
二人の男の近くに居たヴェンが、「おい」と二人を睨みつける。
「……ナギサは関係ない」
「は? 何だ、お前?」
「ナギサは関係ねェって言ってんだろ!」
「言うなら俺だけにしろよ!」と言って、ヴェンは二人居た一人の男に殴りかかろうとした。私は慌ててヴェンの腕を掴み、止めに入る。その間に、噂話をしていた二人の男は逃げてしまった。
「……なんで止めたんだよ」
「暴力は良くないわ」
「けどよ、」
「慣れているの。救世主(メシア)だから」
そうだ。私は救世主(メシア)。生まれたときからずっと、注目され、色んな噂話をされることも多い。
「だから、大丈夫。でも、ヴェンが怒ってくれて嬉しかったわ。ありがとう」
「……」
私がお礼の言葉を言っても、ヴェンは黙ったままだ。「納得できない」そう顔に書いてある。
「悪い、ちょっと寄るところができた。先に帰ってくれ」
「? ……え、ええ」
「荷物は後から持って帰る」とヴェンはくるりと踵を返し、私に背を向けて行ってしまった。一体どうしたのだろうか?
夕方になった頃、ヴェンは家に帰ってきた。しかし、その見た目は最後に見た時とガラリと変わっていた。
「……どうしたの」
黒色で長かった髪は短い銀色の髪に。シャツと黒色のズボンの上には、ファーが付いた派手な赤いコートを羽織っていた。
「いいだろ。この髪の色」
ヴェンは髪の一部を摘みながら、にっと笑った。
「その服、」
「服もな。この方が、いかにも“ガラの悪い男”って感じで」
「素行が悪そうで、誰も近寄って来ねェだろ」とヴェンはにかりと歯を見せて笑った。
「俺、お前のボディーガードになる」
ヴェンは真っ直ぐ、決意を秘めた目で、私の目を見る。
「それで、お前に近寄ってくるやな奴、ぶっ飛ばしてやるんだ」
どこか清々しい雰囲気で、くしゃりと顔を歪めて笑ったヴェンに、私は目を離せなくなった。